岡山市 40代 女性
感謝の気持ちでいっぱいです
私は6月末からリトルプラスに通い、12月から2か月のお試し出勤を経て、2月より元の職場に復職しました。
仕事から離れることおよそ3年。あと3か月復職が遅れていたら、長年勤めた勤務先も問答無用で退職という崖っぷちでした。
私が仕事に、社会に戻ることができたのは、間違いなくリトルプラスのおかげです。
非常に長くなりましたが、自分の体験と感想を記します。
- 利用開始~職場に戻るまで
仕事に行けなくなって2年以上が経っても生活リズムが整わず、復職の目途が立たない私に、産業医の先生はリワークを勧めてくださいました。
公務員である自分は、岡山市クレドビル内にある岡山障害者職業センターは利用できないため、新しくできた民間の施設を利用してみてはどうか、と。
「面倒、嫌」というのが当時の正直な気持ちでした。
長く社会から離れていた自分にとって、玉野市は心理的にも物理的にも遠すぎたのです。
公共交通機関を使って通所することになりました。
時間に合わせて行動する、人前できちんとした格好を保持するという当たり前が、自分には厳しかった。街中の人が多い場所に足を運ぶのも腰が引けました。
最後の難関、リトルプラスへと続くループ橋の坂道を歩くのもしんどかった!
最初はきちんと通えませんでした。
当面は午後からの利用でしたが、それでも1回行けば2,3日ダウンしてしまいます。
だけどスタッフさんは、私が到着するたびに「よく来たね!」と褒めてくださいました。研修生仲間も「お疲れ様~」と午後の活動に自分を迎え入れてくれます。
どうにか通っているうちに出席日数が増え、リトルプラスの玄関をくぐる時間も徐々に早くなっていきます。
半端な時間に到着しても、いつでも受け入れてくれました。
空いた部屋で読書や趣味の手芸をしたり、声をかけてくださるスタッフさんと会話したり。
このように自宅以外の場所で活動し、自分以外の誰かと触れ合う時間が増えると、自身が少しずつ変わってきたのです。
お昼休みに誰かが楽しそうな声を上げていても、最初はそこに入っていけませんでした。
でも毎日みんなと昼食をとるようになり、食後のお茶を飲みながら雑談に交じれるようになり、そしていつの間にか、自分も一緒に声をあげて笑えるようになったのです。
自分以外の誰かと笑いを共有する。なんと気持ちの沸き立つことなのか!
そのお昼ご飯もすっかり様変わりしました。
院長先生のプログラム「栄養療法」をきっかけに自炊を再開、手作り弁当を持参するようになったのです。
毎日の食事といえばコンビニ弁当や菓子パン。
それらをお腹いっぱいに食べていた自分は、すっかり影も形もなくなってしまいました。
自炊をするようになると、今度は自分の健康にも気を遣うようになります。
うつ病を患って過食嘔吐も発症、体重が大激増してしまったことから目を背け続けていたのですが、それを直視できるようになったのです。
通所や運動療法のプログラムで活動量が増えていたこともあり、軽い気持ちで歩数計を買ってみました。
その直後にあったコンサルタイムで、担当スタッフさんとした何気ない会話が、私を大きく変えてしまうことになります。
スタッフさん:「復職には体力も要るよね」
私:「一日6,000歩くらい歩けたら、体力もつくとは思うんですけど(そんなに歩けるわけないけどさ)」
スタッフさん:「いいね、それ。歩こうよ6,000歩!」
私:「えー……」
当時の歩数は3,500歩ほど。ダルいときは通所にタクシーを使うという体たらくの自分に、6,000歩は大きすぎるチャレンジです。無茶だと思いました。
でもその後はなんだかんだ文句を言いつつも、スタッフさんたちの激励を支えに少しずつ歩く時間が増え、6,000歩に近づいてきたのです。
数字が積みあがると楽しくなりますし、歩ける距離も自然と伸びます。
歩数が増えるとみんなから惜しみない賞賛がもらえ、それが嬉しくて歩くのがますます面白くなって……という、プラスのらせん階段をぐるぐる上り続けることになったのです。
今では平気で1日1万歩歩いています。
美しい姿勢で歩きたくてレッスンに通ったり、倉敷のウォーキングイベントに参加して10km歩いたりと、私生活が大きく変わりました。
結果として体重は△15kg、ボトムのサイズは4つダウン。
超絶激太いのが超激太いになった程度の誤差かもしれませんが、それでも現在も減り続けています。
ほんの数か月前には、運動療法の時間にゴネまくり、タクシーでリトルプラスに乗り付け、150m先のコンビニに自転車を使うグータラ人間が、確かにこの世に存在したはずなのです。
いろいろな事が絡み合い、心身ともに健康になっていきます。
毎日通えるようになって1か月が経った11月中旬、職場面談でお試し出勤という名の仮復帰が決まりました。開始は12月。
あれよあれよという間に、復職訓練の場を職場に移すことになったのです。
- 仮復帰~本復帰
12月から始まったお試し出勤。
休職の身分で職場に足を運ぶ足慣らしは、午前のみという短時間からはじまり、徐々に在席時間を増やしていきました。
本当に毎日が恐ろしく、辛かったです。
次々鳴り響く電話、白熱する同僚たちの議論、昼休みの消灯などの職場の日常風景が、重くのしかかってきます。
リトルプラスはいつだって、崩れそうになる自分を支えてくれました。
何度電話して、スタッフさんたちに泣きついたことでしょう。
言葉のあやではなく文字通り、泣きながら電話したことは数えきれないほどあります。
気力が低下して休みたくなった時は、魔法の呪文で乗り切りました。プログラム参加を渋る私を、あの手この手で促してくれたスタッフさんの言葉を思い出したのです。
「靴を履いて外に出てみるだけでいいから、出てみてごらん!」
「中に入って座ってるだけでいいんだから、入って入って」
おかげさまで欠席することなく、お試し出勤を乗り切ることができました。
同僚が受けているクレームを耳にして、胸が押しつぶされそうなときは「リラクゼーション」のプログラムで学んだ呼吸法や自律訓練法を試し、心身を安定させることができました。
お気に入りのお昼寝タイム(?)だった講座に、大いに助けられています。
一見復職には関係なさそうだった時間も、実際に仕事をするときに必要になることばかり。
「脳トレ」では、ぱっと意識を切り替えて集中、実際に手を動かして計算や漢字の書き取りタイムトライアル。
「料理」では、できることを見つけて自ら動く、初めてのことも意欲的に挑戦、立ちっぱなしの作業、和やかな場の一員として振る舞うことなど。
ずっと他者と断絶していた自分にはありがたく、事前に楽しい形で練習できてよかったです。
仕事が休みの土曜日はリトルプラスへ。
アクティブな休日を過ごすつもりで来てみたら? と提案くださったのですが、これが自分には大当たり。
研修生仲間やスタッフさんと会って話をするだけで、気持ちが緩んで楽になりました。職場で緊張の連続だった自分には、またとないリラックスタイムとなったのです。
それにどうしても仕事に行くことに全力投球してしまい、余暇を楽しむ余裕がなくなります。リトルプラスに行けば、自分でだけではできない「新しい何か」に出会え、生活と気持ちに潤いを与えてもらえたのです。
こうしてリトルプラスの存在に助けられ、最終的にはお試し出勤にも慣れることができました。
無事一連の訓練が終了し、2月からの復職が決定したのです。
復職してからも大変でした。
休職中という身分が外れただけで、大きなプレッシャーを感じることになったのです。
またまた体調は急降下、毎日がハードでしんどくて、ちょっとしたことが悲しくて……
またまたリトルプラスに電話して、スタッフさんに涙声で話を聞いてもらう日々が始まりました。
復帰して1か月半以上が過ぎた今は、だいぶ落ち着いてきています。
どうしてそんな些細なことに弱っていたのかと、首をかしげることもあります。
でもその時の自分は確かに苦しくて、そしてリトルプラスはそんな私を支えてくれました。
ある意味、毎日通所していた時よりも、強く大きくサポートしていただいているように感じています。
胸を張って「大丈夫!」と言い切る自信はまだありません。
再発したらどうしようと、考えても仕方ないことにウジウジ悩んでしまうこともあります。
ですが、自分にはリトルプラスがある、何かあったら助けてもらえるという安心感があります。
そう思えば気持ちも楽になり、再び前を向いて自分の足で歩いて行けるのです。
(余談ですが、自分からヘルプの声をあげるということも、ここで学んだ大切なことの一つです)
- 利用を考えている方に伝えたいこと
あくまでも個人的な感想であり、自分はこうだったという体験談です。
人によって合う合わない・できるできないがあると思います。
また、自分は休職期間の残りが少なかったため、利用→仮復帰→本復帰のスケジュールが押せ押せになってしまった気がします。
もう少し時間的な余裕があれば、気持ちも身体も楽に復職できたのかもしれない、とも感じています。
毎日通うのはまだキツイ、一日中いるのは無理と尻込みしている人。
サイトには「毎日来なくてもOK」とあるけど本当に? と疑っている人。
実際にここに、毎日通えず午後から通っていた人間がいます。
公共の交通機関での通所となってしまう方。
ある意味大ラッキーだと考え方を変えてみてはいかがでしょう。
電車やバスに乗って、降りたら歩く。
それこそが復職に有効なリハビリとなるのですから。
利用料や交通費など、費用面で不安のある方。
分かります。自分もものすごく不安でした。
交通費だけで一週間7,000円が吹っ飛びましたから!(タクシー別。玉野市役所からは700円~800円だったかと)
でも、プログラムを受けることでスムーズに復職できたため、十分に元は取れました。
- 最後に
何の不安も問題もなく、仕事や私生活を楽しめる。
毎日仕事に行って、美味しく食べて気持ち良く寝て、休日は出かけたり趣味に打ち込んだり。
そういう、平凡だけど幸せな日々を取り戻すために、リトルプラスで学び、現在もそうなるべく試行錯誤している最中です。
大岩がそこかしこに顔を出す山と緑の木々、穏やかな海と行き交う船。
そんな自然豊かな玉野に通ったこと。
焼けるような太陽の下、リトルプラスへの坂道を大汗かいて歩いたこと。
到着した先で、たくさんの学びと支えと応援と、元気と笑顔と喜びをいただいたこと。
同じ病気に苦しむ仲間と、言葉で行動で励まし合いながら、前に進もうともがいたこと。
そういう時間が確かにあったのだと、忘れることはないと思います。
そういう場所があったから、社会に戻れたという事実は忘れることはないと思うのです。
本当にありがとうございました。
その言葉通り「有り難い」場所を作っていただいたこと、そんな場所に自分が居させていだけたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。