うつ病に特化した岡山県玉野市の 職場復帰支援 + 再発予防施設

復職者様の声

40代 男性

これから自分が進む道の指針になると思っています。

私が最初にリトルプラスを訪れたのは、平成28年10月のことでした。

ある支援施設からの紹介でした。

その時は、岡山にある病院のデイケアに午前中だけ通っていて、午後から玉野に通うのはしんどいと思い、通所を見合わせました。
しかし、デイケアでのプログラムも区切りを迎え、自分で規則正しい生活を維持する難しさも感じており、通ってみようかと思ったのが、平成29年2月のことでした。

私は、数回の休職と復職を繰り返しており、前回の休職中は、自分で図書館に通ったりしながら活動量を増やし復職準備をしていたのですが、仕事に戻ったとたん、周囲と自分を比べ、必要とされない自分に対する自己否定に苛まれ、再び休職してしまっていました。

周りの評価ばかりを気にして、自分で自分のことを傷つけてしまう自分を変えたくて、通ってみようと思いました。

リトルプラスに通われている他の研修生は、皆さん優しく話しかけてくださり、ぱっと見元気そうに見えました。
通っているうちに、体調に波があったり、休んでしまったり、いろいろな困難を抱えているのだと何となく分かるようになりました。

そういう私も、最初は休むことも多く、家で横になって過ごすことも多かったのですが、スタッフに尻を叩かれ、少しずつ続けて通うことができるようになっていきました。

プログラムは運動療法や、メンタルミュージック、読書(月1で感想文を提出)など、楽しいものもあれば、学ぶ会、擬似職場負荷トレーニング、Pre-Job、クッキングなど、自分でプレゼンしたり、みんなで協力して企画を進めるものや、WRAP、集団認知行動療法、IMR、SSTなどうつ病を治療することにフォーカスしたものなど、様々な種類が用意されていました。

リトルプラスのよいところは、多彩なプログラムがあることです。
しかし、それをただ受身で受講するのではなく、安定期から卒業に向かう研修生はみんな課題を持って積極的に取り組んでいました。

いつも真面目な話ばかりしているわけではないけれど、病気や仕事のことなどを話し合える仲間がいるというのもとても感謝しています。

私は1年半という長い年月をリトルプラスで過ごしました。

最初は復職しようと思っていました。
しかし、様々なプログラムを受講し、スタッフに面談していただき、自分を見つめていきました。
こうするべきだよという周りの意見にとらわれるのではなく、自分がどうしたいのか、優先順位が高いのは何なのか。
一生懸命考えました。

そんな中、一番の支えだったのが、研修生の皆さんでした。
皆さんが自分の体験からアドバイスをくださり、体調が悪いときにはそっと気にかけてくれて、他愛もない話をして大声で笑いました。

給与が高いのに越したことはないです。
きれいごとではなく、生活していくためにはとても大事です。
でも私は健康で、長く安定して働くことを優先順位の1番にしました。
そして、退職という大きな決断をして、障害者枠での転職活動を始めました。
一言でいうと、終わりのないトンネルのような日々でした。
しかしそれに何とか耐えることができたのはリトルプラスの皆さんに力をいただけたからだと思っています。

就職活動で一番気にかけたことは、働くことに対する積極性や、どうしてもここで働きたいという強い思いを会社に伝えるということです。
それも、就職活動をする中で学べたことです。
採用が決まったときに、一番に思ったことは、ホッとしたということ、自分でも必要としてくれる場所があるんだなという安堵感でした。

転職が正しかったのか、間違っていたのかは、分かりません。
ゴールではなく、スタートラインに立っただけです。
この選択がよかったと思える日が来るよう、これから頑張りたいと思っています。

傷ついて、少し休んでいる、本当に優しい皆さんと過ごした日々は、これから自分が進む道の指針になると思っています。

本当に、ありがとうございました。