プログラム
嘘をつく時・・・。
とても暖かい日よりになってきました。
昨日は哲学CAFEの日。哲学CAFEを楽しみにしてこられるゲストをお迎えしながら
いつもよりにぎやかなリトルプラスでした。
哲学CAFEも早いもので、今回で12回目!去年3月に立ち上げた時の事を懐かしく思い出します。
今回のテーマは「嘘をつくのは良いこと?悪いこと?」
テーマは前日に皆さんと話合って決めていますが、始めた頃に比べると皆さんの中から出てくるテーマも自由でみんなが関心が持てるテーマになってきました。
日常生活の中でのモヤモヤした時の事や違和感を感じた場面を心に残して哲学CAFEのテーマにして出してくださっているようです。
「嘘」は哲学の世界では定番のお題のようです。
参加した皆さんの意見から少しだけ抜粋してみました。
- 「私は嘘をつかない」これ自体が嘘
- 普段から嘘をついて生きている。
- 自分の為の自己中心的な動機の嘘は駄目だが、他者を思っての嘘は許される。
- 他者を思ってついている嘘も本当は自分が傷つきたくないだけの時があるのでは。
- 病気の告知の問題。本人が告知を希望しない場合は?
- 嘘はつき通せるのか?ばれなければよいのか?
- 信じれば嘘も本当になる。
- 嘘は当事者だけでは収まらず、周囲の人に広がっていく。他者への悪い影響がある。
- 本音と建て前。建て前は優しい嘘ではないか。
- 人には嘘がつけても、嘘をついていると分かっている自分のことは騙せない。
- 嘘をつくときにみんなは苦しいと思うのか。
- 京都の文化で「ぶぶづけ食べますか?」空気を読む文化。文化だと分かれば受け入れられるのかもしれないが、それを知らない人は「嘘をつかれた」と思うのでは?
- 言葉と気持ちが裏腹な時どうしていいかわからない。
- 鈍感な人の方が幸せなのか?
- 自分は嘘をついているつもりはない人もいるかもしれない。相手がどう判断するか。
- 相手にゆだねるというのは依存しているということになるのでは。
- 社会的に許される嘘もあるのか?一夫多妻制の社会では、浮気は嘘にならない。
- 騙されたフリも大事。
- でも、やっぱり社会を維持するためには「嘘をついてはいけない」というルールがなければ、不安で生きていけない。
etc・・・。
嘘。とても身近なんだなぁと改めて感じました。
今日のテーマから出た意見を振り返ると・・・。
- 嘘は誰の側から見るかで「嘘」か「嘘ではない」かが変わる。
- 嘘の範囲(リップサービスは嘘になるのか。)
- 良いか悪いかは誰が決めるのか。
- 文化、ルール(社会?)と嘘の関係。
というところでしょうか。
おかわりできそうなくらい盛り上がって、もう一回やれそうでした!
「人はどんな時に嘘をつくのか?」というテーマでもいいですね、という意見がありました。
みなさん感性が豊かで哲学上手だなぁと感心しました。
次回は、哲学者の松川さんを久しぶりにお迎えしたいと思います。
リトルプラス スタッフ 石田 直子